プロフェッショナルのスタイリストとして、その人「らしさ」を最大限に引き出し、高い感度でセルフブランディングを提供するパーソナルスタイリングサロン【FINDERS KEEPERS AFTERMATH】の代表秋谷和之氏。13年以上のキャリアを誇るスタイリストでありデザイナーでもある同氏に、今のトーキョーのファッションについて話を伺った。
まずは、ファッションに触れたきっかけを教えてください。
11歳とか12歳くらいだったと記憶しているけど、当時ジーンズ屋さんで働くお姉さんが近所に住んでいて、子供心にそのジーンズが特別かっこよく見えてどこのブランドかを聞いたんだよね。それがLevis’501だった。そこからアメカジに夢中になったのがきっかけかな。まず集めたのがデニムパンツ・ネルシャツ・フーディ・N-2Bあと編み上げブーツ。それだけでなんだか無敵になった気がしていたよ(笑)その後、中学2年生の頃に友達が見せてきた『STEREO』や『GIRL』のスケートビデオを観てスケーターに。2年間毎日スケートしていた気がするな。ある時ビデオクリップのBGMで流れてきたBeasty BoysやMethod Manに大きな影響を受けてダンサーへシフト。その期間が一番長かったかな。だから高校生の時には、ルーツのアメカジをベースに、スケーター・ヒップホップカルチャーをファッションに取り入れていたね。
どのタイミングでスタイリストを目指そうと思ったんですか?
22歳くらいだったかな、夜な夜な渋谷で一緒に遊んでいた先輩や仲間から「お洒落だな」ってよく言ってもらえるようになってきた頃かな。自分のファッションセンスを生業にできる職業ってなんだろうって考えたらスタイリストだった。最初は人脈作りで色々なショップに出入りしたりもしたかな。スタイリストを目指すって明確な目的があったので親に悲願してバンタンのスタイリスト科に進んだ。専門学校に行くことに意味があるのかどうか最初はわからなかったけど、行く事で何か道が開くことを期待して。結果、3日で意味ないなって思ったけどね。(笑)
3日はやいですね!(笑)どういったところで意味がないなと思ったんですか?
マニュアル的すぎたところかな。ファッションは感性が強い役割を持つと思っているから教科書通りに教わる抗議を受けても果たしてスタイリストになれるのかなって思っていたね。それでも他の学校よりはとても良い環境の学校だったとも思います。それから僕は当時、雑誌で圧倒的な存在感を放っていたファッションスタイリストの北原哲夫さんにどうしても弟子入りしたくなって。先輩のショップに出入りしては顔を売って、「将来スタイリストになりたいです。」って頭下げて回って、北原さんにたどり着くチャンネルを探していたら、バンタン2年目の秋にご縁があって北原さんに出会うことができました。そこからはスムーズで「お前いいね。来いよ。」という感じで誘っていただけました。
アシスタント時代はどうでしたか?
当時は3~4年かけて教わるのがアシスタント業の常識だったけど、僕の場合は社会人経験もあったので期間も短く効率よくお仕事をさせて頂きました。アシスタント時代は、ミスをしたら自分ではなく、師匠の名前に傷が付いてしまうなと言う事を優先して考えていました。ありがたいことにアシスタント期間は、13ヶ月間で終了。ただし通常の3分の1の期間で終わるということは、3倍のスピードで学ばなければいけないといこと。正直かなり厳しかったけどね(笑)
スタイリストになってからはどうでしたか?
師匠から受け継がせて頂いたミュージシャンのお仕事などを担当させて頂きました。中でもドームツアーのスタイリングは、何万人規模でファンの方々が自分のスタイリングを見ると思うと気持ちが高ぶりましたね。雑誌の仕事も早い段階でメインスタイリストに入れていただけて、結構色々とやらせていただけたのは今でも貴重な経験として残っています。
秋谷さんが手がける【FINDERS KEEPERS】というブランドは、どういった経緯で立ち上げようと思ったんですか?
スタイリストとして活動していく中で、日々沢山のブランドさんのプロダクトに触れてコーディネートを創るのですが、ある頃から沢山の服に対して少しの違和感を覚え始めました。それは殆どがすごく微妙な事で、シルエットだったり、ディテールだったり。色合だったり、素材だったり。そういったことに日々目が向くようになっていて。そういう違和感を自分でコントロールして服を作っていけたらという思いが強くなって2011年にブランドを立ち上げました。けど、その違和感は自分で製作するようになっても解消する事は無いと気づいたのはここ最近です。そして永遠に100点は取れないし取れてしまったら向上が止まる時、すなわち引退という事ですからね(笑)
服を作る上でのこだわりを教えてください。
【FINDERS KEEPERS】は、「手にした人が持ち主」という意味で、僕が作る服を着た人が、日常生活を送る中で主人公のようになり自信を持ってくれたらと思っています。僕は毎シーズン工場に足を運びます。生地のセレクトからから細かい支持まで全てを担当します。OEMは基本的に使わずに自分でコントロールできる範囲のものしか製作しない。通常のブランドに比べると品番は少ないけれど120%納得出来るものしか世に出さないのは、やっぱり自分のプライドとお客様への責任。一番大事にしていることは、「ハイクオリティ」であり、かつ「リアルクローズ」であるということ。都市生活を送る人があらゆるシーンで自信を持てる装いを提供したいと常に意識しています。テイストについては、その時々の自分の中のトレンドを積極的に取り入れていれます。スタイリストという側面が感覚的に強いのでテイストが大きく変化することもよくあります。お客様は着いてくるのが大変だと思うけれど、それも含めて多くのジャンルの服に触れて楽しんでもらいたいです。
毎シーズン違ったテイストの新作は、打ち出す方も受け取る方もワクワクしますね。秋谷さんは、一時期ブランドの運営しながら、アパレル関係の企業経営コンサルタントとしても活動されていましたよね?
某ストリート系古着屋の経営コンサルタントをしていた時期がありました。当時は、VETEMENTS(ヴェトモン)のブームを皮切りに、SUPREME(シュプリーム)とLouis Vuitton(ルイヴィトン)のコラボレーション、Off-White(オフホワイト)のデザイナーだったVirgil Abloh(バージルアブロー)がルイヴィトンのデザイナーになるなど、ストリートファッションがモードに対して革命を起こしていましたね。この流れは非常に長くて6年程続いたのかな。ファッションの世界に自分はずっといるけど、この大きなストリートファッションのムーブメントを深く理解しない状態が、自分の中では腹落ちできなくてクリエイティブにも葛藤が生まれ悶々としていたころに丁度オファーを頂いたので担当させて頂きました。これが凄く貴重な経験で、やはり僕が知らない事が多く存在し、有意義な時間を過ごせたのは非常に大きかったですね。
パーソナルスタイリストとして活動しようと思ったきっかけは?
まずこれからは大きなマーケットではなく、小さなマーケットが個々に成立する時代の到来だと思っています。大きなムーブメントが起きなくなり、小さいムーブメントが無数に発生していきます。これはカッコいい・これはダサいという概念自体もなくなり、誰がどんなファッションをしてもカッコいい・カワイイっていう完全ボーダレスな時代になっていく。でも本来それがファッションの本質だと僕は思いますけどね。
あと、在庫ビジネスをやっているブランドは、大小問わず商業的にはかなり厳しい時代に突入していくと思います。展示会オーダーと工場ロットとの温度差は特に深刻。国内需要は20年前にくらべて劇的に減少しているのに、工場ロットをクリアする為に過剰に生産する動きは変わりませんし、見栄えを気にしてSKUを拡げて無数に服を作る。結果的に過剰供給された服はセールで売られます。そのタイミングで購入した人はプロパーには戻ってこないです。その負の連鎖を知りながらも服を大量生産するビジネスには疑問があったので2019A/Wで廃止しました。
また自分がヴィーガンになったのをきっかけに、地球環境に対しての意識改革も起きています。ただし僕は動物愛護の観点ではなくて、あくまでも過剰な生産を止めるという意味合いなのでレザーやウールなど、素材の使用を制限しようとまでは思っていません。衣料ロスの問題なども深刻で、バングラディシュでは世界中から送られてきた服の山が街中に溢れています。先進国から送られてきた服は刑務所の壁のように街を占拠し環境を汚している現実があります。もちろん僕レベルの小さなブランドがやったところで何も変わらないかもしれないけれど何も行動しないよりは良いかなと思い、量産体質のブランドは閉じようと考えました。
耳が痛くなる人も多いと思いますが、ファッションにおける矛盾と課題点であり、避けて通り続けることは出来なくなってきますね。今後のビジネスの展望は?
自分の役目としては、マーケットの動向や地球環境に配慮しながら、必要とされる人のために必要なものを自分の得意なスタイルで提供していきます。その人のライフスタイルにプラスになるような服を。デザイナーとスタイリスト一人二役が出来る自分だからできるクリエイティブを届けていきます。決して安くないけど、その人の為に手間隙を惜しまずに丁寧に時間をかけて、しっかり役立つ服を届けさせて頂きます。
最後に、CHEESE MAGAZINEの定番クエスチョンを秋谷さんに投げかけてみました。
秋谷さんにとって、ズバリ35歳とは?
僕もそうだったけど、色々な経験則が重なって勝負出来る時期だと思う。ビジネス面でもプライベートでもね。それを感じられたらいいんじゃないかな。20代は希望や野心って部分が行動原理だと思います。30代は思考がプラスされて計画的になっていく。40代に入ると今までの経験則で構築される原理原則に基づくようになって、より精度を上げていくというか。憶測では動かず、しっかりとした仮説を立て、検証して動いていくって感じかな。これからもファッションの世界にいる一人として、時代がどんなに変化しても自分の使命は変わらないのでしっかりと役目を果たしていきたいですね。
PROFILE
秋谷 和之
Fashion Stylist / Fashion Designer
1979年生まれ、東京都出身。2004年に北原哲夫に師事し、2006年よりファッションスタイリストとして活動。2011年にハイクオリティ×リアルクローズコンセプトのメンズアパレルブランド【FINDERS KEEPERS】を設立。クリエイティブディレクターとして活躍する傍ら、他ブランドディレクションやアパレルショップのアドバイザー業務を兼任。2020年より、現在のパーソナルスタイリングサロン【FINDERS KEEPERS AFTERMATH】を立ち上げ、必要とされる人に必要な服を届けるパーソナルスタイリストとして活動。
Official Site : https://www.finderskeepers.jp/
Instagram : https://www.instagram.com/finderskeepers_aftermath/
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