セレクトショップ「Burnish」のバイヤー兼マネジャーの後、GMTのプレスとして世界中から集めたシューズのPRに携わる三浦由貴氏。“ミウラシュラン”の愛称で、多くの業界人から親しまれている同氏の人柄や仕事観に着目し、インタビューしました。
学生時代はどんな感じだったんですか?
中学・高校は、ずっと学年委員長をやっていました。生徒会長の下で、学年委員を取りまとめるポジション。まとめるっていうと大げさに聞こえるけど、比較的誰とでも分け隔てなく仲良くなるタイプだったから、きっと向いていたんじゃないかな。今もアパレル業界以外のお友達も沢山いるから、きっとこの能力はその頃に身についたのかもしれない。大学は経済学部で、開発経済学専攻。貧しい国をどうやって発展させていくかっていう勉強をしていて、沖縄の経済や市場を、東京の規模感にするにはどうすればいいのかっていうテーマで卒論を書いたよ。
結構真面目だったんですね(笑)どのタイミングでファッションに目覚めたんですか?
19歳の頃かな。地元・成田の駅前に民族雑貨のお店があってよく通っていて。そこで働いている藤田さんに出会ったのがきっかけかな。藤田さんは現在フリークスにいて、初期メンバーでもあるんだけど、本当にいつもお洒落でさ。
「20歳の記念にいいものが欲しいんだけど、何がいいと思う?」っていう相談をしたら、「トリッカーズのブーツかバブアーのオイルドのジャケットを買った方がいいよ。一生使えるものだから。」と勧めてくれて、バブアーのジャケットを買いに千葉のお店に買いに行ったんだ。
そうだったんですね。それがきっかけでアパレルの道に進もうと思ったんですか?
元々服飾専攻でもないしアパレルに行くとは思ってなかったけれど、チャオパニックのアウトレットで当時バイトしていた時期があって、タイミング的に関東採用第一期生を募集中でさ。売上も取れてたし本社の人に電話かけて、「社員にしてくれませんか?」って直談判してみたの。(笑)そしたら「君、面白いから面接においで」って言ってくれて採用してくれた。
じゃあファーストキャリアは、チャオパニック?
それが内定式の翌々日に、バブアーのジャケットを買ったお店の人から電話があってさ。「就職先決まった?」「チャオパニックに決まりました。」「うちで働いてみない?そもそもチャオパニックでなにやりたいの?」「バイヤーが面白そうだからなりたいです。」「来たらすぐやらしてあげるよ。」「・・・じゃあそっち行きます!」って(笑)結局チャオパニックの内定を蹴って、2年くらいそこのお店でバイヤーをしていたんだ。
展開が凄いですね(笑)その後は?
バイヤーをやっていたお店がトリッカーズも取り扱っていたんだけど、トリッカーズの代理店が今のGMTだったの。15年前から展示会の度に、GMTに買い付けに来ていて。ある日代々木上原にバーニッシュっていうセレクトショップを作るから、店長兼バイヤーで来てくれないかって誘われたのが12年前。それで今に至るって感じかな。
三浦さんって全身トータルでお洒落なのに、なぜ靴の専門PRになろうと思ったんですか?
長くアパレルの買い付けをやっていて洋服畑に居たけれど、たまたま靴屋が洋服屋を出したいってタイミングでGMTに来たから、最初から靴に興味があったのかって聞かれたらそこまでではないけれど、PRの醍醐味って別物だからさ。自分のPRの仕方で、色々な人に知ってもらえる機会を創出できるのが面白いから、好き嫌いとはちょっと別というか。好きすぎても拘りが出てきてフラットに見れないから、距離感的にもこれくらいが丁度いいのかなって思ってる。
アパレルで特に好きなブランドってあるんですか?
元ベイクルーズのバイヤーで、フィルメランジェのディレクターをやっていた尾崎雄飛さんが本当に作りたい物を作ってる「サンカッケー」と、堀切道之さんの「CLASS」って2ブランドが好きだね。
好きな靴のブランドは?
自分のところのブランドで申し訳ないけれど、【ISLAND SLIPPER(アイランドスリッパ)】に関しては、自分自身も学生時代に初めて買ったときに感動したし、毎年工場に訪れたりもしているので、愛着があるし、このブランドを自分は一生履いていくんだろうなって思ってる。
そもそもなんですが、なぜ“ミウラシュラン”って呼ばれているんですか?
酒癖が悪いから「三浦 = 酒乱」でミウラシュランって結構皆さん勘違いされているんだけど、昔フイナムのブログを担当していた時に、僕はお酒と食べることが好きだからその方向性でタイトルを考えていて。俺が好きな俳句家・吉田類の酒場放浪記っていう一人で居酒屋に行ってお酒を飲んで食べて隣の人と絡んだりする番組から文字って「服場放浪記」にしようかなって思ったりする中で、最終的に「ミシュラン」にいきついたんだよね。ミシュランのガイドブックはタイヤメーカーのミシュランが作ったって知ってた?タイヤを消費してもらうために、色々なところにみんなに出掛けてほしいから、あそこ美味しいですよ、行ってみてくださいね。タイヤがすり減ったらミシュランで交換してくださいね。っていうのが始まりなんだけど。だから、実はミシュランからとってるんだ。
ミシュラン由来ってことはやっぱりごはんが好き?
洋服より何よりも食べることが好き。だから、俺のことをガイドブックとして使ってもらってもいいくらいエリア毎のオススメのお店は一通り網羅してるかな。
ちなみに明日死ぬとしたら最後の晩餐はどうしますか?
自分は結構我慢ができないタイプで、これが食べたいって思ったら、遠かろうがどこでも行っちゃうんだけど、実家の成田に「おぴっぴ」っていう讃岐うどんのお店があって、ここから2時間かかるんだけど、それでも行っちゃうくらいそこのカレーうどんが本当においしくて。。。だから俺はそこのカレーうどんかもしれないな。(笑)
ミウラシュランさんは交友関係が広いことで有名ですが、どうやったらそうなれるの?
真面目な話をすると、自分がプレスになってから、一回名刺交換をした人には翌日、もしくは土日を挟んでしまったら翌月曜日には必ず話した内容一言添えてメールをいれるように徹底している。これは仕事関係もプライベートの飲み屋の席でも両方。全員に対して後日必ずメールをして、返信がきたらもうSNSでその人のことを探してみて、居たら申請しちゃう。
そう心掛けるようになったきっかけとかはあったんですか?
20代の頃、よく上野・浅草・北千住あたりに週末に一人で飲みに行っていたんだけど、ある日知り合ったおっさんが酔っ払いながら「お兄さんはすごく愛想がいいから、20代のうちは借金してでも飲み歩いて沢山の人と会って色んな知識を頭に入れなさい。30代になってふと気づいたときに、自分の中に何かを見つけたりマインドを変えた時に、知識が知恵に代わる瞬間があるから君はそうした方がいいよ」って言われてさ。それがずっと頭に残っているから、事あるごとに誘われたらちゃんと飲みにいくようにもしているし、パーティーも予定が合えば行くようにしているし、そういうのをずっとやってきて、32歳の時にはっとそれが財産になっているって気づいたときに、あのおっさんのおかげだなって。でも悲しいかな。おっさんと会って名刺交換してないから連絡ができないわけ。そのおっさんと出会う前に自分がそれをやっていればっていう後悔があるから、必ずやるようにしてるんだ。
仕事に関してですが、想い出に残るプロジェクトはありますか?
2015年に宝島社から出版した「アイランドスリッパ」のムック本。当時、「編集は誰も付けなくていいです。台割り・ブッキング・カメラ全部自分でやります。」って作った1冊。スタイリスト梶雄太さんやカメラマンの赤尾さんと撮影に行ったり、BEAMSの設楽さんにインタビュー受けてもらったり、イラストはFACE君や長場雄さんに書いていただいたり。これが今まででマジで死ぬ気でやった仕事だし、自分の中の殻を破ったひとつのプロジェクトだったかな。
仕事をする上で何が一番楽しいですか?
PRを仕事として始めた時に、わかりやすい目標を一つ設定した。俺は成田出身なんだけど、街を歩いたらまだハローキティーのサンダルや網サンダルを履いている子達がざらにいるような地元でだし、友達もそんな奴らばっかりなんだけど。そんな人たちに「アイランドスリッパ」を知ってもらうことを目標にしてずっとやってきて、4年目くらいで地元の友達から「アイランドスリッパって知ってる?東京に居るなら買ってきてよ。」って電話も貰った時に、目標が一つ達成できたって思えたし、それが面白かった。
PRする上で大事だと思うことはなんですか?
デザイナーやモノづくりの人は、全員ではないけれど「お洒落な人にしか着てほしくない」「わかってもらえる人にだけわかってもらえればいい」っていう考えは持っていると思う。それがモノづくりの軸になっているから持っていて当たり前だけど、僕らPRはそこに拘りすぎてはいけない。販路に関しても極端な話、総合ディスカウントストアで取り扱ってもらってもいいってところまで掘り下げて考える必要があると思う。自分達が作って良いと思っているものを100万人のひとが着てくれたら、それほど嬉しいことはないでしょう?でもアタマのどっかでは、「いや、お洒落な人にしか着てほしくない」って。わかるけど、100万人に着てもらえたら、100万人が認めたお金を対価に、また自分達が好きなクリエイティブなことができるわけだから、俺はそのマインドを持っていないとPRは駄目だと思う。
コラボレーションに関してはどう思いますか?
コラボレーションって言い方をすると薄っぺらくなるけど、出会ったことのない人や出会ったことのないモノを掛け合わせて、何かプロダクトを作ってみたり、クリエイティブなことをするって面白さが今はあると思うし、これは僕らの世代がどんどんやっていくべきだと思う。自分にしか出来ない人脈を使って新しいコトやモノを生み出すことは面白いことだから。
ISLAND SLIPPER ✕ FilMelange
ミウラシュランさんはこれからどうなっていきたいか?
お酒と食べ物に興味があるから、それを一生仕事にしていきたいと思っていて。例えば、地方では凄く美味しいものがあっていい街なのに、どうして人が来ないんだろうっていう場所が沢山あって。過疎化が広がっているからってのもあるんだけど、地域復興PRをやっていきたいっていう想いがある。例えば、京都友禅の老舗も、着物だけじゃなくてもっと色々なことをやってみたいと思っていて。東京の飲食店と掛け合わせて、オリジナルのランチョンマット・コースター・エプロンっていう商品企画をしたり、一緒に期間限定でイベントをやったりしても面白いんじゃないかとかね。地元の人たちの身になるようなプロダクション・プロモーションを一緒にやっていけたらいいな。
あなたにとって35歳とは?
一言でいうと、「こんなもんか」って感じ。20代の頃は30代への憧れがあったし、もっと楽しいと思ってたし、今30代になると40代が楽しそうだなって思う。その間にいるのが35歳だから、結構どっちの良さも知ってて面白いことができる歳のど真ん中にいると思うんだけど、男にとってはとくに。でもまあこんなもんかって思う。だからまだまだ出来るなって思う。
PROFILE
ミウラシュラン
GMT Inc Press
千葉のセレクトショップでバイヤーを経て現在のGMTに入社。セレクトショップ「Burnish」のバイヤー兼マネジャーの後、GMTのプレスとして世界中から集めたシューズをPRしています。
GMT Inc : http://www.gmt-tokyo.com/
Instagram : https://www.instagram.com/miurachelin/
YouTube : https://www.youtube.com/channel/UC47Upw5lQ353Wl7EcLVubBA/
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