小学校2年生からバレーボールを始め、小中高全ての年代で全国制覇を経験。高校卒業後は東レ・アローズ女子バレーボール部に入部した。日本代表には高校在学中の2001年に初選出され、オリンピック・世界選手権・ワールドカップと三大大会すべての試合に出場。力強いスパイクを武器に「パワフルカナ」の愛称で親しまれ、日本を代表するプレーヤーとして活躍。2010年6月に現役を引退し、現在は全国での講演活動やバレーボール教室、解説、メディア出演など多方面で活躍しながら、スポーツ界やバレーボール界の発展に力を注いでいる。そんな毎日を送る大山氏に、今までの選手人生や今後の発展について、お話をお伺いしてきました。
ではまず、スポーツやバレーボールに触れたキッカケを教えて頂けますか?
まず、小学校に入学をした時には、ズバ抜けて身長が高かったので、すぐ先輩たちに見つかって「大きい子がいるぞー!」って噂になって「大きいから、一緒にバレーボールやろうよ!」と声を掛けてもらったのが、キッカケなので、小学校に入学してすぐにバレーボールとの出会いがありましたね。
なるほど!では、小学校1年生、6〜7歳頃という事ですね!
なんと、早い出会いなのでしょうか…
そうなんです!練習を見学に行ったときに、先輩たちがキラキラ輝いて見えて、すぐに私も「バレーボールをやりたい!」って思って、その日家に帰ってすぐ両親に伝えたんですけど、大反対をされまして…結果的に1年後の2年生から始める事になりましたね。
ご両親は、なぜ、反対されたのでしょうか?
反対されたのが、喘息を持っていて、身体が凄く弱かったんです。
なので、両親は身体の事を凄く心配して、バレーボールをする事には反対で、でも、私はどうしてもやりたくて、小学校2年生になった時にもう一度両親にお願いをしましたね。「絶対に辞めないから、お願いします!バレーボールをやらせて!」って言った時に、なんとか、できる事になりましたね。
小学校2年生で…本当に凄いですね。1年間の思いを実らせたのですね。
ね!それだけ本当にバレーボールをやりたかったんですよね。
それまではやっぱり喘息持ちだったので、走るとすぐ苦しくなっちゃったりして、運動をほとんどしてこなかった、逆に運動が嫌いな子供だったんですけど…
なぜか、バレーボールには惹かれて…
運命だったんですね!
先輩たちが見つけてくれて、声を掛けてくれたり、普通小学1年生でのスカウトなんて滅多にないですよね!
本当にそう思います。
たまたまバレーボールというスポーツが盛んな地域に生まれたっていうのもありますね。
確かに、私の小学生時代はバレーボールの部活もクラブチームも周りにはなかったです!
そして、なんと言っても小学校6年生の時点で175センチあった大山さんは、小学生じゃなくて、もう高校生くらいに見間違えられちゃいますよね!
そうですね!その上スポーツ刈りだったので、高校生の男の子だと思われてましたねー!
ちなみに、バレーボール選手のプロになりたいと思ったキッカケを教えて頂けますか?
んー。まず大きかったのは、6年生の時にアトランタオリンピックをテレビで見て、オリンピックに対して憧れをもちましたね。
小学生の時にオリンピック選手になるんだという夢が固まった訳ですね!
そこからすぐ、19歳でワールドカップ、20歳でオリンピックに出場されましたね!
ちなみに、10代の頃から活躍されて、テレビでも注目されていたと思いますが、注目されるが故の、大変だったことや辛かった事などはありますか?
そうですねー!
もう小学生の頃から注目されるという事が当たり前の環境ではあったので、学生の頃は意外とそれが苦ではなかったんですけど、ただ、代表に入ってからは、それが凄く重荷になったりとか、プレッシャーに感じてしまうという事は結構ありました。
自分の実力と、周りからの期待のバランスが取れていないなと感じる事が多かったですね。
その分応援してくださる方々がいてくれた事も凄く支えになりましたね。
なるほど。長年選手をやられて、怪我や腰痛に悩まされてきたと思いますが、大山さんの中のスランプや、そのスランプ脱却方法などを教えて頂けますか?
どちらかというと「苦しい」とか「辛い」っていうのを、人に言えずにいたんですね。
周りから「エース」と言われる中で、「強くなきゃいけない」と思い込んでいて…
弱音を吐いちゃいけないと思っていました。
でも、弱さをさらけ出してもいいんだと思える瞬間があって、それからは周りの人に「辛い」「苦しい」「助けて」と言えるようになって、スランプからは早く抜け出せるようになりましたね!
なるほど!ちなみに、その瞬間の出来事をお伺いできますか?
オリンピックの前に、本当に辛くなってしまって、合宿所を逃げ出そうとした時があって、その時に初めて、両親と高校の恩師に「もう無理です。帰りたいです。」と言えて、その時に両親が「バレーボールは辛い思いをしてまでやるモノではないよ。帰っておいで。」と言ってくれたり、恩師も「加奈はスポーツ選手に向いてないんだから辞めたかったら辞めてもいいよ。」と言ってくれて…
でも、その時は本当にオリンピックの直前だったんですね。
両親にとっても、恩師にとっても、オリンピック絶対出てほしいし、夢だし…
でも、そんな中に「帰ってきていいよ」って言ってくれて心が凄くラクになったのと、その時って、私からバレーボールを取ったら何もないと思っていた中、私からバレーボールを取っても受け入れてくれる人がいるって思った時に、「この人たちの為ならもう少し頑張ろう」って思えるようになりましたね。
やっぱり、帰る場所がある。って思うだけで、心の中の安心感が全然違いますよね。
そうですね。当時はもう、日本のエースと言われている中で、エースなら強くないといけない。オリンピックに行けない私なんて、価値はない。と思い込んでいたので…
なにも考えずに、ただの私を受け入れてくれる人がいたことが凄く大きかったですね!
素敵です!
ちなみになんですが、今も、昔も、大山さんが日頃から心掛けている事はありますか?
「必要とされる人間でいたい」っていうのはずっとあります。
怪我をしてしまって、試合に出られなくなって、もうチームに私は必要ないんだって思ってしまって、苦しい時期があったんですけど、でも今凄くたくさん色々なところで必要としてもらえる事が凄く幸せで、それが遣り甲斐になってますね。
選手時代も、選手として必要とされていたいっていう思いがありましたね。
大山さんの今までの努力や経験がこれからまた違う形でいろいろな人の道しるべになっていくのですね。
現在ではコロナの影響もあり精神的にも参ってしまうこの頃ですが、最近の息抜きやストレス発散法はありますか?
息抜きは、もう愛犬と戯れて、モフモフする事ですね!
大山さんの愛犬!柴犬ちゃん!ダイズちゃん!可愛いです!
私も最近犬を飼い始めたんですが、心だけじゃなく、生活リズムも整えてもらってます!笑ワンちゃんと触れ合う事で、ストレスが軽減されるし、癒しの時間という事ですね!
そうですよね!凄い存在ですよね。
世界中のワンコがみんな幸せになれたらいいな。今後はそういう活動もできたらと考えてます。
素敵です!
少しでも辛い思いをしているワンちゃんが少なくなっていくよう、私も微力ながら、応援したいと思います。
ちなみに、小さい頃からワンちゃんはお好きだったんですか?
いや!それが、むしろ苦手だったんです!
触ったこともなかったんです!
えー!
飼うキッカケはなんだったんですか?
主人が飼いたいって言った一言なんですけど、人って、こんなに変われるんだーと思いましたね!
本当ですよね!触ったこともなくて、苦手だったのに、今では癒しになっているなんて!人生分からないものですね!
では、話しを取材に戻らせて頂きますね!
今現在は、バレーボール選手を引退されて、コメンテーターだったりとか、解説のお仕事などもやられていると思いますが、今後の展望を教えて頂けますか?
はい。
まず、バレーボールを選んでくれた子供たち、全ての子供たちに幸せになってもらいたいというのが軸にありまして、その為の活動を今は色々しているところで、この活動はこれからも変わらずずっとしていきたいですね。
バレーボールって、厳しい指導のイメージがあると思うんですけど、結構その通りで…
子供たちが、バレーボールをやったことで不幸になってしまっている子たちが全国にたくさんいるので、その子たちをゼロにしたいという思いでやっていますね。
指導者の意識改革や、環境整理、子供たちとの触れ合い等、色々な事を多角的にやっていかないとなと、思っていますね!
ありがとうございます!子供たちや、ワンちゃん、動物たちを守っていきたいという、大山さんの包容力がとても大きいなと。感じました!
では、最後にCHEESE MAGAZINEの読者の方々へ、大山さんにとって35歳とは、教えて頂けますか?
んーキャリアと、家庭と、凄く色々な葛藤がある年代だと思うんですね。
自分もそうなんですけど、どれを優先するか、悩む時は多いんですけど、でも、それは、欲張っていっていいのでは?と思っていて、自分が望むものを手に入れていって、幸せな人生を送っていってほしいと思います。
この度は、ありがとうございました!
PROFILE
大山 加奈
Sports Commentator
Twitter:https://twitter.com/kanakanabun/
Instagram:https://www.instagram.com/kanaoyama0619/
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