小学校6年生の時にフェンシングと出会い、中学校で全国大会優勝を果たすと目標は世界の舞台へ。身長170cmを超える恵まれた体格を武器に、日本女子体育大学3年生でナショナルチーム入りし、念願のオリンピックには2012年のロンドン大会で初出場。2大会連続で2016年リオオリンピックにも出場し、日本女子フェンシング界を長年にわたって牽引してきた。現在もなお豊富な経験を活かし、日本ランキングトップクラスを保ち続け、東京オリンピックへの出場とメダル獲得が期待されている。そんな輝かしいアスリートの西岡さんも、1人の女性。そんな西岡さんのオンとオフを探ってみました。
ではまず、スポーツに触れたキッカケを教えて頂けますか?
フェンシングに触れる前って事ですよね。
家の中で人形で遊ぶ事も好きだったんですけど、身体を動かす事が子供の頃から好きで、友達と公園に行く事が多くて、小さい頃から走り回っていましたね。
元々スポーツに興味があって、父がバレーをしていたんですけど、それを見に行ったりして、そこが、スポーツに触れたキッカケですかね。
あとは、水泳をしていたり、小学校でミニバスに入って、バスケットボールをしていたりだとか、テニスに連れて行ってもらったりだとか、幅広くスポーツはやっていましたね。
小さい頃から活発だったんですね!
そこから、フェンシングにはどのようにして出会ったのでしょうか?
フェンシングと出会ったのは小学校6年生で、私の高校(母校)の監督と、父が知り合いで、私がいろんなスポーツをやっていて続かなかった事もあり、興味があるかなと思ったらしく、連れて行ってもらったのですが、その時はあまり興味が沸かず「フェンシングやりたい!」とはならなかったんですけど、父に「1年ぐらい続けて、辞めたかったらやめたら?」と言われて、それで始める事になりましたね。
そこから、小学生ながらも高校に通いながら年上の方々と一緒にフェンシングを練習されていたのですか?
そうですね。みんな高校生でしたね。
えー!1人小学生で、高校生相手に競技されていたんですね!
凄い。想像するだけで大変ですね!
そうですね。けど成長しますね。
でも、結構嫌ですよ~!小学生なのに高校に入るのって緊張するし、1人で行かないといけないから。
お1人で!?送り迎えとかもなく?
そうなんですよー!
高校から家までは自転車で3分くらいだったので、1人で行ってましたね!
逆に中学校が凄く遠くて、山の上だったんですけど、自転車を使っちゃいけない謎のルールがあって、徒歩で50分くらいかけて通ってました!
えー。もう通学がトレーニングですね!
ちなみに、小学校6年生から高校生の中に入ってフェンシングをやられていて、キッカケは1年くらいでやめてもいいと言うスタートだったかとは思いますが、それでもずっと続けられていたという事はフェンシングにとても深い「魅力」があったかと思います。そのプロ選手になろうと思ったキッカケを教えて頂けますか?
フェンシングって、プロっていうカチっとした定義がなくて、今は企業に就職して、選手をするっていう人はたくさんいるんですけど、私が始めた頃はなかなかそういった選手も少なくて、本当にフェンシングを続けたければ公務員や教師、警察官や自衛隊になるとか、そういう選択肢しかない時代だったので、実際プロを目指すという感覚はあまりなかったですね。
ただ、フェンシングを続けたいという気持ちは強く持っていたので、どうやって続けたらいいかなって事は考えてましたね。
ちょうど、私がロンドンに行く前くらいに、ネクサス株式会社っていう会社の社長さんが元々フェンシングをされていた方なんですけど、その方がフェンシング部の女子部を作ってくださって、初めて会社に所属しながらフェンシングができる体制になって、そこからがスタートって感じですかね!
プロ選手という定義が…私の勉強不足で失礼いたしました!
お仕事と競技の両立はとても大変ですね。
その大変な中にも魅力があって、今まで続けてこれたのだと思いますが、
フェンシングを続けようと決意した瞬間はありましたか?
フェンシングをちゃんと続けようと思ったのが、高校3年生の、世界カデ選手権大会っていう大会があるんですけど、17歳から20歳までの年齢別の世界大会があって、そこで銀メダルを取った時に、フェンシングを続けてオリンピックに出たいと思ったので、まずはフェンシングを続けるという意思がそこで固まりましたね。
ありがとうございます!
やはり、オリンピックや世界大会は夢ですよね!
ちなみに、フェンシング選手というお仕事についてお伺いしたいのですが、厳しい練習や、つらい事、楽しかった事等、エピソードがあれば教えて頂けますか?
そうですねー!
フェンシングを続けてきて辛かった事は、たくさんあるんですけど…
仕事と両立するというよりかは、フェンシングをする事が仕事だったので、職場の人たちとの関わりが全くないですし、フェンシングをしてお金をもらっているという立場だったので、それがプロって事だとは思うんですけど、初めのネクサス株式会社に入った時は、あまりそういった実感がなくて、自分がプロなのかな?っていう疑問があって、複雑でしたね。
その後には警視庁に入ったんですけど、警視庁に入る時には警察学校に6ヶ月入らないといけなくて、私はフェンシングを続けるっていうのが目的で入ったんですけど、周りの子たちはみんな警察官になりたいっていう気持ちで入ってきているので、その温度差や、気持ちのズレをたくさん感じて、その時は申し訳ないという気持ちになって辛かったですね。「これでいいのかな」っていう自問自答というか。
今所属している株式会社エイジェックというところは競技者である事が価値であって、競技者である事を活かしてできる仕事が多々あるので、そこに入った事で悩みは無くなって、選手としてただいるだけじゃなくて、社会に何か貢献したり、フェンシングの普及に携わったり、自分が元々やりたかった事を形にできるところに所属する事ができたので、ありがたいなっと思いますね!
警視庁に!?警察学校を卒業するだけでも大変だと思いますが…
凄い経験をたくさんされていますね!
確かに、目指す場所が違うと思いながら一緒に頑張る事は気持ちがどうしても前に向かない事もありますよね。それでも頑張れたのは、楽しかった事もあったと思いますが、嬉しかった事や、良かった事などはありましたか?
私たち選手は個人として所属しているんですけど、チームとして試合に出る事もあるので、どの企業にいたとしても、団体戦で試合に出る事があって、そこで全員一丸となって優勝を目指すという事がとても楽しいし、そこで優勝できた時は本当に嬉しかったですね。
そういう時は、企業の名前を背負って試合に出るので、優勝して企業の名前を大きく出せた時は嬉しいなって思いました。
素敵なお話ですね!
確かに、自分の会社のロゴが大きく出る事って、あまりないので背負ってくれて、優勝してくれて、ロゴも出たら会社としても、こんなに嬉しい事はないですよね!
本当に、フェンシングって出す機会がほとんどないんですよ。国内試合も少ないですし、海外の試合はあるんですけど、日本の方々に見て頂く機会が少なくて、自分の会社のロゴだったりを腕とかに付けて出場するんですけど、やはりなかなか出せる機会がないので、その時は嬉しいですね。
ユニフォームと言うのでしょうか?真っ白なイメージが凄くありますね!
そうですね!
基本真っ白ですね!胴体部分がシルバーなんですけど、光の加減で真っ白に見えちゃうかな?
全然顔も見えないんで…
そうですよね!
試合後のインタビューくらいでしかお顔が全然見れないので、こちらとしてはもう少し見れたらなーと思いますが…
試合後の顔は本当にひどくて出したくないんですけどね…
汗だくのすっぴんなので…
そうですよね…少し時間をくれー!って感じですね!
今までのお話で、辛かった事や楽しかった事、嬉しかった事をお伺いしてきましたが、今まで競技を続けてきて、スランプはありましたか?
スランプは、そうですね…結構悩んで辛い時期っていうのはあって、リオデジャネイロのオリンピックに出る半年前くらいがスランプでした!
半年前!結構ギリギリのタイミングですね!
はい!ギリギリのところで!
気持ちの面で、「オリンピックを決めなきゃ!」っていう気持ちが強すぎて、フェンシングって、7月にオリンピックが開催されるとしたら、3月に決まるんですよ。
決まるのが凄く遅くて、3月まで誰が出れるか分からない状態で、その時までみんなポイントを稼いでいって、3月の時点でポイントが高い人が出場できるんですけど。
それを決めたくて、決めたくて、気持ちが先走って、でも身体がそこまで追い付いていない状態が続いていましたね。
技術的にも、体力的にも不足はなかったと思うんですけど、気持ちと身体のコンディネーションが上手くいかなくて、スランプ状態に入ってた時期が3ヶ月くらいありました。
でも、スランプになっている事を自分自身が受け入れられなくて、「こんな時期にスランプになっちゃいけない」とか「もっと結果だして強くならなきゃいけない」とかこうしなきゃいけないっていう気持ちが強すぎたんですけど、ある時にスランプを受け入れる事が出来るようになって、その後は技術や体力というよりは、メンタル部分を固めるために基礎部分を見直して、少しづつやっていこうと思えましたね。
なるほど。想像を絶する緊張感だったと思います。
ちなみに、そのスランプから脱却された「ある時」とは、何があったのでしょうか?
これといった出来事があった訳ではないんですけど、コーチと話した時に、自分自身を受け入れられていなかった事が分かって、まずは調子が悪い自分を受け入れて、メンタル部分を整える事から始めましたね。
その時に、コーチが「ずっと信じてるから」と言ってくれて、その言葉が凄く大きくて、焦らずゆっくり進める事ができましたね。
後は、高校の時から続けているんですけど、フェンシングって一対一の試合なので、ピスト(フェンシングの試合フィールド)に立った時に相手より気持ちが上だと思わないと、その時点で負けなので、自分がどれだけ追い込めたかっていう事が、選手自身の自信に変わるので、そこだけは絶対に手を抜かないようにして、自分自身とひたすら向き合う事をしていましたね。
なので、それを続けていった中で、自然とスランプをスランプだと感じなくなっていきました。
ピストに立った時に相手より上だと思う事で相手より優位に立つのですね。基本的にはフェイスガード?って言うんですかね?対戦相手の方とは目を合わせる事も難しいように思いますが、どの様にして相手とのアイコンタクトをされるのでしょうか?
試合前はマスクを取っているので、唯一相手の顔を見れるのが試合前のあいさつの時なんですよ。
剣を持って「お願いします」って、審判と相手の選手に挨拶ができるんですけど、その時にちゃんと相手の目を見て挨拶ができるんです。
リオオリンピックで戦った選手が今まで1度も勝てなかったアジアでトップクラスの選手だったんですけど、試合前のあいさつをした瞬間に、「ワタシの方が余裕を持ってるな。相手が緊張してるな」って感じた時に、初めて勝てたんですよね。
その時の気持ちの余裕っていうのは、自分をどれだけ追い込めたかとか、基礎をしっかりやってきた事が自分の自信につながったなと思いましたね。
凄いですね!ちなみに、今まで勝つ事のできなかった選手に勝てた瞬間のお気持ちをお伺いできますか?
勝てた瞬間の気持ちは、凄い嬉しかったんですけど、「イエーイ!」って感じではなくて、「よし。」って感じでしたね。表現しづらいんですけど、負ける気持ちがなかったので、嬉しかったんですけど、この人で終わりっていう感じではなかったですね。
満足というよりは、「だろうな」という感覚でした。
凄い。スランプからの、脱却からの、成長の幅が凄まじいですね。
では、日頃心がけている事をお伺いしたいのですが、例えば、日頃の練習で気を付けている事や、試合前にしているルーティーンなどあれば教えて頂けますか?
日頃の練習で気を付けている事は、私も31歳になって、20代前半でやっていたような練習内容はもうできないんですね。やっぱり、そこまで追い込んでしまうと、リカバリーも大変ですし、ケガをしてしまうと回復が遅いので、体力的に追い込む練習というよりかは、頭を使う練習に切り替えたっていうのは、20代後半からありますね。それは日頃心がけている事で、試合前のルーティーンは、あまり作らないようにしているんですよね…
ルーティーンというよりかは感覚的にそれが決まっている事なんですけど、練習の時や試合のシューズを履くときは左足から履く。とかですかね。自分でルーティーンを決めちゃうと、それができなかった時に凄く気持ち悪いので、あまり決めないようにはしていますね。
なるほど。確かに、ルーティーンを決めちゃうと、それが何らかのアクシデントでできなかった時に悔いが残りますもんね。
私もそうします。特に勝負の時はないのですが…
では、少し西岡さんの裏側をお伺い出来たらと思います。
競技や大会前で気持ちを持っていかなければいけない時とかも多いと思いますし、今ですとコロナ禍でストレスの多い世の中になってきておりますが、そんな中で、西岡さんご自身のリラックス方法や、ストレス発散法はありますか?
オフですね!結構マッサージに行ったりとか、ヘッドスパが凄い好きで、ヘッドコンシェルジュっていうヘッドスパ専門店があるんですけど、最近はコロナの影響で全然行けてないですが、本当に疲れた時とか爆睡できて、すっごくいいです!
後は、ネイルが凄く好きで、今もネイルしてるんですが、月の満ち欠けデザインとか、季節を感じるデザインとか、気分で可愛くできるので、とても好きです。
あとは映画鑑賞も好きですね。
素敵な趣味をお持ちで!
私も映画大好きなのですが、西岡さんの好きな映画ベスト3とかって、教えて頂けたりしますか?
うわー!難しい!
ですよね!であれば、最近見た映画で、オススメのタイトルを教えて頂けたりは?いかがでしょう?
最近見た映画は、実話で「セクレタリアト」って言う映画なんですけど、競馬の馬主さんと馬の話で、主婦の人が、父が持っている競走馬の育成場を持っているんですけど、父が病気で仕事ができなくなって、全く経験のない主婦が名馬を生み出すっていうストーリーなんですけど、、、私はあまり競馬に興味がなかったんですけど、ストーリーに凄い惹かれて、一気に見ちゃいましたね。凄い良いお話でした。
セクレタリアト!知らなかったです!是非見てみますね!
では、プライベートのお話もお伺い出来たので、お話を競技のお話に戻せたらと思います!
西岡さんの今後の展望をお伺いできますか?
そうですね。東京オリンピックが1年延期になって、本来であれば引退をしているはずだったんですけど、1年後になったので、もう1年頑張ろうかなと思っております。
後は、東京オリンピックが終わった後に、選手を続けるかっていう事はまだ分かりませんが、今よりももっと、フェンシングの普及に携わっていけるような活動を自分で企画して自分で行動していきたいなと思っていて、今所属している会社の人たちと、何か作っていけたらなと思っています。
フェンシングって一言で言うと認識できますが、なかなかどのような競技かまでは知らない人も多いですもんね。
微力ながら、応援しております。
では、最後の質問をさせて頂きたいと思います。
西岡さんにとって、35歳とは?教えて頂けますでしょうか。
35歳とは。
私も今31歳になって、気持ちはずっと変わらずにいるので、私にとって35歳も変わらずにいるんじゃないかなと思います。年齢を決めるのは自分だなって思っていて、年齢に縛られる人にはなりたくなくて、競技をしていて、年齢を感じる時もあるんですけど、いくつになっても気持ちが変わらなければ変わらずにいられると思います。なので、同じ競技の選手でも10代の選手がいたりするんですけど、気持ちは変わらないよと言ってます。(笑)
確かに、自分の心持ち一つで変わりますよね!
この度は、素敵なお話をありがとうございました!
PROFILE
西岡 詩穂
Fencing
Instagram : https://www.instagram.com/shih05823/
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