1984年の渡仏後から、36年にわたり国内外で幅広く活躍するメイクアップアーティスト。フリーランス契約のヘアメイク6名とともにテレビCM、広告をはじめ、イベント、ライブツアー、PV撮影、番組収録、またHERMES、Ralph Lauren、アニエスベー、FENDI、GUCCIなどのファッションショーも手掛ける中嶋氏。国内では木村拓哉さんをはじめ、米倉涼子さん、松たか子さん、小雪さん、香川照之さん、織田裕二さん、福山雅治さん、仲村トオルさん、沢村一樹さん、スポーツ界からは石川遼プロ、上田桃子プロ、原英莉花プロ、北島康介さん、萩野公介さん、中澤佑二さんなど人脈も広く、多ジャンルで活動。また、得意の仏語、英語を活かし、キーラ・ナイトレイ、ナタリー・ポートマン、サマー・グロー、アン・ハサウェイなど海外女優やモデルはもちろん、ローリングストーンズ、エンヤ、スイングアウトシスターズなどミュージシャン、ジェイドジャガー、アニエスベー、フリーダ・ジャニーニなどデザイナー来日時の依頼も多く、技術面と同様、高いコミュニケーション能力で信頼を得ている。
そんな中嶋竜司氏がメイクアップの道に進んだ訳や、36年間のメイクアップアーティスト人生について、お伺いしてきました。
では早速ですが、今のお仕事になっている「メイク」に触れたキッカケを教えて頂けますか?
もう本当に、高校を卒業するまではそんな職業がある事も全く知らなかったんですよ。
高校を卒業してすぐにフランスに行って、高校の先輩が「Yohji Yamamoto(山本耀司)」さんのアシスタントをしていて、その方も「田山淳朗」さんっていう今では「A.T.」っていうブランドを立ち上げているデザイナーさんなんですけど、当時パリコレのファッションショーの手伝いをしてくれと言われて、フィッターって言うモデルさんに衣装を渡す仕事をしまして、その時に見ていて「うわ~メイクさんっていいな~」って思った事がキッカケですかね。
キレイな女の人と会えるじゃないですか。笑
確かに!キレイな方々と会えて、メイクさんとして関わりたいと思えたキッカケがあのパリコレとは!それはキレイな方々ですよね!
では、そこでメイクさんになろうと決意されて、10年間フランスにいらっしゃったと思いますが、フランスではどのようにしてメイクアップアーティストとして独立されたのでしょうか?
その頃はまだ80年代前半でヘアメイクなんて認識がない時代だったんですよね。でもそこでヘアメイクしている人たちは有名な人しかいなくって…
化粧品って言っても大手のDiorとかSaint Laurentとかそういったブランドが化粧品を出してたんですけど、でも今みたいにグッズとしては普通に売ってないから、刷毛や筆もない状態だったんですよ。
そんな中たまたま知り合いから紹介してもらって、弟子入りをさせて頂く事が出来て、無給ですけど、無給なりにちゃんと教えて頂いて、パリコレだとか、有名なファッション誌の撮影現場に連れて行ってもらって、まだ言葉も話せない状態だったんですけど、10代の頃にトップの世界でいろんな事を教えて頂きましたね。
言葉も分からないまま身一つで飛び込む。とても勇気が必要だったと思います。
今の時代ではなかなか考えられない経験をされておりますね。
では、フランスでどのようなタイミングで独立をされていったのでしょうか?
もう、1・2年した時にはちょこちょこ仕事を振られて、「竜司、頼んでいい?」みたいな感じで。フランクにさせてもらいながら、アシスタントもして、を繰り返しているうちに。って感じですかね。
なるほど、10代でフランスに行かれてそこから1・2年で一人でもお仕事に行けるようになるなんて…これぞ叩き上げですね。
そこから10年経って、日本に帰国されたと思いますが、帰国をするキッカケは何だったのでしょうか?
でもね、1回途中で2年くらい帰ってきてたんですよ。
ロレアルにスポンサードして頂いて、フランスの美容室を日本に作る為に。
それで、ロレアルの美容室としてオープンさせて1年~2年くらいこっちで仕事したんですね。その間もちょこちょこフランスと日本を行き来はしてたんですけど。
で、その後フランスに帰って、本格的に自分だけで仕事をしていきましたね。
ただ、日本のクライアントさんもたくさんできたので、皆さんフランスにいらっしゃると、依頼が入ってきて、よく仕事させて頂きました。
なるほど。ロレアルの美容室が日本にできた時の第一人者様なのですね…
お話が壮大すぎて、恐れ多いのですが、今のお仕事「メイクアップアーティスト」というお仕事についてお伺いしていきたいのですが、今のお仕事をされてきた中で、辛かった事や楽しかった事など、エピソードなどがあれば教えて頂けますか?
辛い事って、仕事がない事じゃないですか。
すっごい長丁場の仕事でも、ずっと立ちっぱなしの仕事でも全てが楽しかったし、仕事をしていて辛い事なんてこれっぽっちもなかったと思います。
良い事は、本当にたくさんの方とご一緒できた事。やっぱり国内外のトップのミュージシャンの方、トップ女優さん、トップ男優さん、トップスポーツ選手、トップの政治家の方、あまりお目にかかる事のない方たちをメイクアップさせて頂いて、お話をさせて頂けた事かな。
お会いする事はできるかもしれないけど、その人たちの頭や顔を触る事が出来た事って、本当に素晴らしい仕事だなって思いますね。
確かに。最前線で活躍されている方々にお会いする事も難しい中、メイクアップとしてご一緒できる事こそがとても名誉な事ですよね。
ちなみに、国内外問わずたくさんのかたをメイクアップされてきた中で、人によって肌質や毛質も違う中、ご自身でその人に合わせたメイクアップを提案されていたのでしょうか?
やっぱりそこは、ヘアメイクがメインじゃないんですよね。ある程度技術は必要なんですけど、カメラマンが、素っ裸でビーチで撮りたいって言われたら、そこにヘアメイクをする必要はないんですよ。ただそこにいる必要はあって、モデルの動きによって毛の1本がかかったらよけてあげなければならないし。何もしないのもヘアメイクの仕事ですし。
1からバーッと作るのもヘアメイクの仕事。
ファッションショーなんかは、前のショーが2時間も3時間も押すわけですよ。有名なメゾンであっても、ずっと待ってるんですよね。それでいきなり「7分後にきます!」って言われて、2~3分でメイクをしてあげて、ショーに出さないといけないんですよ。
最初から順序良くなだらかに始められる事って少なくて、時間との闘いだったりもしますし、洋服に合うのが大前提なので、常に完璧に1から10までやらなきゃいけない訳ではなくて、1だけでいい時もあれば、10だけでいい時もあるので、その時に応じてって感じですかね。
そうなんですね!私たちはショーを見ている側だったので、ステージを歩くモデルさんたちが2~3分でメイクして出てきてるなんて夢にも思わなかったです。やはり凄いですね。
もう、そういうのがザラでしたね。
モデルの子たちも大変で、そのショーが17時に終わったらすぐ飛行機でニューヨークに飛ばなきゃいけなかったり。
80〜90年代は仕事の量もお金の動きも異常でしたね。
それにスト(ストライキ)がしょっちゅうで、飛行機に乗れなかったり、モデルが来ないとか、携帯も、カーナビもない時代だったから、大変でしたね。
えー!撮影にモデルさんが来ないなんて、もう仕事にならないですよね!
そうそう。車で撮影現場に行ってて、撮影終わったと思ったら車が盗まれてたりとか、シシリー島でハイジャックされたりとか、イタリアでは撮影グッズが盗まれてなくなっちゃったりとか、GUCCIとかLouis Vuittonから借りてた新作がない!って。
今思うと、面白いと思う事がたくさんありましたね。
本当に壮絶ですね...命があってよかったです...
特に外国はそういう事が多かったですね。
だから、日本に帰ってくるキッカケになったのが湾岸戦争だし。
そうなんですか!湾岸戦争のタイミングでご帰国されたんですね!
そう。92年の湾岸戦争があって、そこら中で爆弾テロがあって、フランス中のゴミ箱がひっくり返されて、ゴミ捨て場がなくなって…そこら中に爆弾テロが起きたタイミングで日本の仕事も一切こなくなって、ELLEとかVOGUEとかの撮影もロケが禁止になって、本当に撮影もなかったし、今のコロナみたいに仕事がなくなっていって、帰ってきたんですよね。
ちなみに今まで壮絶なお話をお聞きした後ではあるのですが、36年間メイクアップアーティストを続けてきた中で、1番印象に残っているお仕事や出来事はありますか?
いやもう、全てが異常だったんですけどね。
ただやっぱり1番衝撃だったのは、初めてフランス人の彼女ができた時に、南仏のアヴィニョンっていう村の子なんですけど、夏に一緒に彼女の家に行ったんですけど、向こうって付き合ったらすぐ「フィアンセ」って言うんですよ。
その時に、「竜司、何年生まれ?」って聞かれて、その後食卓についた時に生まれ年のワインが食卓に5~6本並んでて、それに圧倒されましたね。
みんなで食卓を囲んで、おもてなしをするそのお国柄って言うのかな。
そういった事を学ばせて頂きましたね。
おもてなしの心はとても大切ですよね。
今はコロナ禍で暗いニュースが多いですが、その中でもおもてなしの心を忘れずに、譲り合いや助け合いを思いながら生活していきたいですね。
ちなみに、日本に帰ってきてからのお仕事で印象的だった事はありますか?
日本に帰ってきてからは、ほとんど全てのファッション誌の表紙をたくさんやらせて頂いてましたし、たくさんのタレントさんとも素晴らしいお仕事を未だにやらせて頂いていますね。
国内でも大活躍でお忙しいと思いますが、中嶋さんのオフの日の過ごし方をお伺いしたいのですが、日頃心がけている事はありますか?
普段は、お酒も飲まないし、人と食事に行く事も全くしないんですけど、ゴルフに行ったり、三男とサーフィンに行ったり、子供たちと野球をしていますね。
なるほど、小麦色のお肌は日頃スポーツをされているからなんですね!
日焼けって、ヨーロッパ、ニューヨークでは、日焼けをしている事が最高のステータスなんですよね。日焼けをしている人ほど時間があって、お金持ちほど日焼けをしているんです。その頃の1番トップのデザイナーっていうとジョルジオ・アルマーニですけど、ずっと船に乗って真っ黒で、だからみんな頑張って日焼けをするんですよね。キレイに焼けるように。
それが健康的でもあり、ステータスでもあり。
そうなんですね!日本では日焼け止めを塗ってなるべく日焼けをしないようにする方々が多いですが、ヨーロッパやニューヨークのファッション業界の方々は日焼けをしてこそなのですね!勉強になります。
そんな小麦色の中嶋さんですが、最近ではメイクアップのお仕事に留まらず、スキンケアのブランドを監修されたりと、良いお肌へ導くために商品生産をされておりますが、中嶋さんがCHEESE読者にオススメする、今からできるオススメポイント術などはありますか?
CHEESEの読者さんの35歳前後の年齢層でいうと、今からお肌が傾いてきて、メイクにも飽きてくる人、飽きて来ない人に分かれてくる年代じゃないですか。
結婚もそうですし、環境が変わる時期だと思うんですけど、自分に時間をかけられる人、かけられない人に分かれてくる歳だと思います。
化粧落としを、コットンで拭くなんて当たり前になってきていると思うんですけど、コットンだとか、メイク落としシートで拭いてメイクを落としていた方々で、今50代になってきた人たちを見てると、お肌にプツプツできて、肌トラブルがでてきちゃうんですよね。
だから僕は担当したタレントさんたちには言うんですけど、「絶対にメイク落としシートで拭かないで」って。あれは、お肌のサンドペーパーなんです、摩擦でゴシゴシ拭く事で、皮膚を削ってるんです。そんなに毎日皮膚は再生しないんです。
あとは、洗い終わった後にタオルでゴシゴシ拭く事も良くないんです。タオルも、擦らず肌に置くように水分を取ってあげる。そして、たっぷり保湿をしてあげる。
そして、マッサージをして血流を良くしてあげる。顔をしっかり触ってあげてマッサージしてあげないと、血流が悪くてくすむし、固くなっていくのでね。
特に今はマスクをしているので、口周りは蒸れて菌だらけになるんですよ、なので、しっかり菌を取ってあげる洗顔も大切。免疫を高めてコロナにも勝てるようにね。
30代からはちゃんとした知識をしっかり取り入れて、正しいスキンケアをしてあげる事が大事ですね。
では、最後に中嶋さんのこれからの展望をお伺いできますか?
やっぱり今の延長で、スキンケア商品など、いろいろな事をやっていき、引き続き良い仕事をしていきたいですね。
まだ、出せていない商品もたくさんあるので、本当に必要なモノを作っていきたいと思っています。
ありがとうございました!
中嶋さんが監修したスキンケアブランド「Feel the HALO」の記事はコチラ
https://cheese-magazine.ryo-irago.com/lifestyle/2484/
PROFILE
中嶋 竜司
Makeup Artist
Youtube:https://www.youtube.com/channel/UCTQ_A6EEvQ9S848Z7bTyRQw/
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